眠れぬ夜

2008年4月5日放送分『ベリキュー!』で、真野ちゃんが引用していたヒルティ(Carl Hilty:法学者、1833-1909) の格言。
「寝床につくときに、翌朝起きることを楽しみにしてる人は幸福である」
引用の元ネタは Hilty の『幸福論(glück)』という著作から。
以下、『幸福論』に関するネタバレがあるので注意。


一応、『幸福論』の日本語版第1巻(草間 平作訳、1963、岩波書店)から、Hilty の格言が生まれた事情を適当にまとめる。



例の格言は、P.31 から始まる「エピクテトス(Epictetus、Ἐπίκτητος:哲学者、55?-135?)」*1という章の中で登場する。
Hilty は、エピクテトス(の弟子達)が残した作品のうち、当時現存していた『提要(Enchiridion)』*2について触れている。
その上で Hilty は、『提要』の文章を翻訳の上引用しそれらに自分なりの見解で注釈をつけている。
そして例の格言は、27番目の節(?)で Hilty が出した注釈として登場する・・・。


以下、『幸福論』の日本語版第1巻の P.72-73 から27番目の節(?)に一部注釈をつけて引用しておく。


的はそれを射はずすために立てられるものでないように、不幸もまた、人がそれを避けるためにこの世に存在するものではない。
(以上エピクテトス『提要』からの引用)


たしかに名言である。
前に挙げた、シエナのカテリナの言葉と符合している。
たいていの人は、俗に不運とか不成功とか呼ばれるものに対する愚かしい恐怖のうちに生きて、それらがどんなに良いものであり得るかを悟らないのである。


何がいったい幸福であるのか、またどうしてそれを知りうるかについては、様々の意見がある。
そのうち最も実用的なものを挙げれば、次ぎの通りである。


(一)毎日、欣然として、自分の運命に従いうるものは幸福である。
(二)毎晩、眠りに就く際に、明朝また目ざめることを喜びうるものは幸福である。
実用的には違いない。


ただな・・・。
『幸福論』を読んでると、結構キリスト教的世界観が前面に出てるのが鼻につくんだよな。
これから『幸福論』を読む場合は、その辺りを覚悟しながら読むことを勧める・・・(謎)。

*1:エピクテトスは110年生きた、なんて与太話も。ちなみに Hilty は、この与太話を信じてない模様。

*2:一般に、エピクテトスは自分で著作を書かなかったと言われてる。『提要』はアリアノス(Arrian)が書いたモノで、エピクテトスの作品抄録という性格を持ってるとか。