隙間に埋もれて・・・

2008年8月25日放送分『ベリキュー!』で、真野ちゃんが引用していた小林 多喜二(作家、1903-1933)のお言葉。
「困難な情勢になってはじめて誰が敵か、そして誰が本当の味方だったかわかるものだ」


元ネタは、小説『暴風警戒報』*1から。
ただし、多喜二氏本人は政治論的要素が強いと公言してたとか・・・。
というか、この小説の設定には 1928年〜1929年に現実で起こった事件*2も盛り込まれていたんだけどさ。
多喜二氏の思想のせいもあって、小説というよりはむしろ左派の政治活動方針に関する提言の色が強い、ってのは俺がこれを読んだ感想・・・。


今回真野ちゃんが引用していた言葉は、物語の中盤部分で野口という人物が発した台詞。
以下、『小林多喜二 全集第二巻』(青木書店、1959)に掲載されてた『暴風警戒報』から、P245-246 の一部を引用しておく。
ただし、引用元で傍点になってた部分は下線にし、繰り返し記号の一部はカットした*3

(中略)
「どんづまりへ行くと、こゝでも矢張り二つに分れるんだ。
――三・一五や四・一六でプロレタリアの党の指導力が弱まった。
だから、それによって指導されてる闘争団である労農同盟の力が弱まり、刻々の問題を活発に取り上げていけなかったことは事実だ。
だからこそ尚更、プロレタリアの党の再建強化に努力しなければならない。
他は、だからこの場合別に官許政党を作ろうというのだ。
が、どの時代、どこの国の場合を問わず、無産階級の解放はプロレタリアの党――共産党なくして行われたことは「断然」無いのだ。
客観的情勢の如何によって、あってみたり、無くてみたりする、そんな手品みたいなものでないのだ。
マルクスレーニンを読んで、この事実を疑うものは一人もいない。
とすれば、どっちが正しく、どっちの方向へ努力することが正しいか、わかりきったことだ。
それァ遣りづらい、困難な仕事だ。
一生の間誰にも知られず、コツコツやって行かなければならない仕事だ。
或いは一生の間獄舎で、呻吟しなければならなくなるかもしれない仕事だ。
――だが、これだけしか道がなく、これだけしか正しい道がないとすれば、俺達はそこへ進んでいかなければならないのではないか。」


寺田は野口の云うのを聞いているうちに、だんだん今までハッキリしていなかったことが分かってくるのを覚えた。
彼の属していた左翼芸術団体は敢然と「大山派の裏切」*4に抗争した。
その事があってから、その雑誌の読者がだんだん尻込みをし始めた。
何かやろうとしても、ちっとも集まりがきかなくなった。
寺だがそのことを野口にこぼした時、野口は
「それはどんな奴だ。」ときいた。
雑多な要素をゴタゴタと集めて、それでプロレタリア芸術の大衆化が出来たと思っていた今迄の誤りを、この際捨ててしまうことだ。
――この困難な情勢は、そいつ等野糞のように振り落として行くだろう。」
困難な情勢になって、初めて誰が敵か、誰が味方顔をしていたか、そして誰が本当の味方だったか分かるのだ。
――十人が二人になっても心配しなくてもいゝ。
その二人が工場労働者であれば!」
(以下略)
・・・ディープだ。


ただ、『暴風警戒報』は、同じ年に出された『蟹工船』や『不在地主』が有名になりすぎたせいなのか、政治色が強すぎたのか、ウケはあまり良くなかったとか。
この辺りについては↓の、「政治的価値あり得るや 昭和5・3 『改造』」の項目も参照。
・広津和郎 政治と文学(伊豆利彦のホームページ)



そういえば、『サイボーグしばた』の中では、蟹工船』の本*5が小道具として使われてたんだよな。
今考えると凄まじいセンスだな・・・。

*1:『新潮』十九三〇年二月号初登場、1929年11月3日脱稿?

*2:三・一五事件と四・一六事件

*3:横書きでも表示できるらしいが・・・

*4:大山郁夫氏を中心とした一派。戦前の日本共産党から睨まれてたとか

*5:文庫本じゃなかったはず