死んだらそれまでよ

2008年8月15日分『ベリキュー!』で、真野ちゃんが引用していた坂口 安吾(坂口 炳五:小説家、1906-1955)の格言。
「人生はつくるものだ。必然の姿などというものはない」


元ネタは、『教祖の文学』(1947年発表)という作品から。
この作品では、批評家である小林 秀雄が1946年に水道橋駅のプラットホームから落下した事件をきっかけに、小林 秀雄の評価とか坂口なりの文学論をぶち上げている。
問題の、割と後半部分から。
↓から、真野ちゃんが引用していた格言の前後部分を引用しておく。
・図書カード:教祖の文学青空文庫

(中略)
人生とは銘々が銘々の手でつくるものだ。
人間はかういふものだと諦めて、奥義にとぢこもり悟りをひらくのは無難だが、さうはできない人間がある。
「万事たのむべからず」かう見込んで出家遁世、よく見える目で徒然草を書くといふのは落第生のやることで、人間は必ず死ぬ、どうせ死ぬものなら早く死んでしまへといふやうなことは成り立たない。
恋は必ず破れる、女心男心は秋の空、必ず仇心が湧き起り、去年の恋は今年は色がさめるものだと分つてゐても、だから恋をするなとは言へないものだ。
それをしなければ生きてゐる意味がないやうなもので、生きるといふことは全くバカげたことだけれども、ともかく力いつぱい生きてみるより仕方がない。


 人生はつくるものだ。必然の姿などといふものはない。
歴史といふお手本などは生きるためにはオソマツなお手本にすぎないもので、自分の心にきいてみるのが何よりのお手本なのである。
仮面をぬぐ、裸の自分を見さだめ、そしてそこから踏み切る、型も先例も約束もありはせぬ、自分だけの独自の道を歩くのだ。
自分の一生をこしらへて行くのだ。
(以下略)
・・・以前真野ちゃんが紹介したアルツィーバジェフに通じるものがあるな(苦笑)。
生への欲求を激しく表してるっていう意味で。
後は、過去の著作に対する批判的な姿勢も『教祖の文学』で結構目立つんだよな。
ってか、坂口の著作全般がそうらしいが・・・。


そういえば。
昔ある本を読んだ際、坂口 安吾は日本の文化について色々述べていたブルーノ・タウトを批判してたって聞いたんだけど・・・。
坂口にしてみれば、過去の日本を過度に美化するタウトの態度が気に食わなかった?